taro murakami
1969/10/27神奈川県生まれ (誕生日がパガニーニと同じ☆)






高校時代にロックバンド(エレキギターを担当)で音楽活動を開始。
当初はベース担当にされそうになるが、
高校1年の夏休みに猛練習をしてリードギターのポジションを無理矢理奪い取る。
練習やライブなどバンド活動に明け暮れる。
ほとんど一日中弾いていることもあったらしい(本人記憶に無し)
バンドの練習をするためにだけ、放課後学校に行く日もあったとかなかったとか?
コピーしたのは、「EarthShaker」「Rising Force」「RATT」「Loudness」他。
新入生歓迎会、文化祭、校内定期ライブ、地元でのライブなどで演奏する。

高校3年の時にラジオで偶然耳にした「Red Warriors」の「Outsider」
という曲の 木暮"Shake"武彦 のカッティングの音に衝撃を受ける。
その後 "Shake" のルーツを探るうちにロックの歴史自体をなぞることになる(但し広く浅く)
BB・キング、ジョニー・ウインター、キンクス、Who、Rolling Stones、LED ZEPPELIN、T-REX 他
中でもツェッペリン、エアロスミスにはかなり深くハマリ、愛好度がRed'sと逆転する皮肉なことに。
プログレなども聴くが好きになるのは数年要する。
その後、自分の影響か定かではないがバンド内にツェッペリン、エアロスミス病が伝染し、
ライブではDEAD ENDやLED ZEPPELINなどの曲が混在する
HR/HMと王道ロックが混ぜこぜな摩訶不思議な状態になる。

その後、お決まりのコースでプロを目指すようになる。
武蔵野音楽学院で一年間だけ学ぶ。
ただし、ロック畑の自分なのに担当は何故かJAZZ奏者の先生(苦笑)
しかし、左指4本全て使うクロマチックの練習をさせられた事でその後の運指を変えるきっかけにはなる。
が、それ以外のレッスン内容はほとんど全く役に立っていないような気が・・・
また、音楽業界の裏事情など在学時に学んだ業界事情は良くも悪くも結構役に立っている。
学校の帰りに都内で遊んで東京の空気を満喫する(若いね!)
都内中古レコード店で、ツェッペリンやエアロスミスなどの新譜発売当時のレコードを買ったり、
某大手楽器店を巡ったり、新宿・原宿のロック系アクセサリーのショップを物色したりなど。
また、洋楽だけでなく邦楽インディーズ系にも興味を持ち、
その頃はまだちょっとアンダーグラウンドな匂いのするレコード店など通う。
ただし、ライブハウスに聴きに行く事は特にしなかった模様。
聴きに行ったのは洋楽・邦楽共にプロのライブのみ。

この頃よりコピーからオリジナル曲主体の活動に移行する。
地元ホールでのライブ、コンテストにも参加。但しコンテストでは箸にも棒にもかからず。
地元では音がでかくてうるさいバンドと言われ嫌われる。
都内のライブハウスに何回か出演する。ただし集客力なし。

ラジカセ2台のピンポン録音で多重録音を始める。
不燃物で拾ったLLカセットでダビングしまくる(デモ制作に大活躍)
20代前半に4trカセットMTRを初めて購入。
頼まれもしないのに作品を人に聴かせる。

バンド時代にBass、Drumの演奏も何となく習得。
25歳くらいより独学でピアノを始める。
デジタルピアノを購入してピアノ漬けになり、
あろうことか自分の部屋からピアノ以外を全て撤去してピアノと寝泊りする事をしばらく続ける。
その後、徐々に部屋に物が戻ってきたのは言うまでもない。

ヴァイオリンを面白半分で少しだけ弾く。
この時購入したヴァイオリンは現在訳あって所在不明(結構高かった…)
バンドの音楽性が売れ線志向になり、メンバー間の音楽への熱意も薄れたのか定かではないがバンドは消滅。
この頃に仕事中に印刷機械のフライホイールに左手人差し指を挟み、ダメージを負う。
この怪我によって、ギターや弦楽器で過度の練習を行うのが難しくなる。

この時点で一度音楽活動を止めて、画家を志す。具象から抽象へ。
かなり大きいサイズの絵も描く。しかし、100号はその頃の自分の3畳の部屋では大き過ぎて、
しかも描いて部屋から出せなくなり結局バラす羽目に。
展覧会などに出品し入選したこともあり(亜細亜現代美術展。移動展にも行ったらしい)
美術館や銀座のギャラリーに足繁く通ったり、
画集やアート関係の美術集などの蒐集にそれなりの金銭を投入する。
ちなみにこのサイトのイメージ画像の聖母子はレンブラントを模写したもので、
管理人本人がベニヤ板に油彩で描いている。

しばらくフルートにはまる(King Crimsonの影響大)
夜中に川原でランタンの火を灯してフルートの練習をしたりもする。

新聞の広告通販にて激安ヴァイオリンを購入し試作曲に入れてみる。
が、この楽器は数ヵ月後にネック付け根部分の裏板が剥がれて崩壊。
ボンドで無理矢理固定するも対応できなかったため、結局ヴァイオリンは放置。
ついでに弓毛も崩壊したので弓ヘッドとフロッグに木ネジを刺して
釣り用のテグスを張ってしのいでいたりもする。

時代の変遷と共に手頃な価格の録音機材が充実してきたこともあり、
少しづつ独りで制作するスタイルに移行する。
その頃使っていたMTRはRoland VS-1880。
同時に初めてコンデンサーマイクを購入し、録り音の繊細さに感動する。
ピアノもデジタルピアノに我慢できなくなりアップライトピアノを購入するが、
とある事情のため防音性能は劣るものの、
ある程度時間に制約なく作業できるスタジオ(のようなモノ)を自らの手で造ることになる。
音楽性がスタート時点とかなりかけ離れてくる。

その後、Vo.不在が理由なのか、
所謂エロティックアート及びファッション写真的及びウォーターハウス的な
絵・アートの世界に惹かれ、また自分の絵の実力を勘違いして自己過大評価したのか
再び絵画の世界に舞い戻りここで再び音楽を止める。

転落事故(テクノロジー犯罪の関与による)を起こす。
テクノロジーによる犯罪行為により突然絵が描けなくなってしまう。
(テクノロジーによる操り被害により両手首に傷あり)
(テクノロジー犯罪の関与が確実)

自宅療養中、音楽を唯一の心の拠り所にし、しばらくの空白ののち音楽活動を再開。
ハードウェアのレコーダーからPCベースのDAWに移行する。
この頃の音楽性は女性Vo.を意識したポップミュージック。
しかしVo.がいないのでVOCALOID MEIKOを仕方なく使う。
VOCALOID MEIKOのアクティベーションのためネットを初めて自宅に開通。
ネット上で音楽を公開できることを知り早速公開サイトにて登録・公開をしてみる。
初めて公開した曲の累計再生数は約80回程度。

2006年2月にworld's end girlfriendの "The Lie Lay Land" というCDを聴き、
弦楽器の音に心を揺さぶられてヤフオクにて¥4,000のヴァイオリンセットを購入する。
ちなみにこの楽器の板は合板(ベニヤ)
同年3-5月には低音の必要性に迫られ某オクで手持ち機材を売り払い資金捻出しチェロも購入。
しかし、チェロにはまってしまいヴァイオリンは放置状態になる。
夏頃にはそのチェロも放置し音楽の取り組みも全くせず放置。

秋も深まる2006年10月、ヴァイオリンに再び取り組み始める。
後を追うようにチェロも再開。
しかし、左手人差し指の不調を抱えながらの練習のため思うように前に進まず。
(その後いくらか復調。現在はそれなりに無理が利く状態)
この頃にヴァイオリン製作に興味を持ち始め、ヴァイオリン製作キットなるものを購入。
その後、安い単板のヴァイオリンを購入し板を削ったり魂柱・駒調整などを試みる。

2007年年末にヴァイオリンの練習のしすぎで首を傷めてしまい
仕方なく弾き始めたギターでロックでの活動の機会を伺い出す。
最初期の頃のギターサウンドはGuitar RigまたはミニMarshallのMG10CDでつくる。
何かが違う・・・と感じつつ・・・
首の不調が回復したのは年を変えて4月頃。
3~4ヶ月ヴァイオリンはまともに弾けずに棒に振る。
その後、顎あてと肩あてを使わずにバロック奏法でない
モダンなヴァイオリン奏法で弾く弾き方を独自追求し始める。
「パガニーニ・スタイル」と本人が勝手に命名。

2008年2月にHARD OFFのジャンクコーナーに転がっていた
バスドラム¥1,000、タム一個¥600×2を見つけ購入。
ちなみにフロアタムは無い。
その後、スネア・シンバル類、ペダルを別途購入し自スタジオにて使い出す。

2008年11月に T-Murakami music Lab. を立ち上げる。

アンプを高校生の頃に学校の教科書に絵で描いたほど憧れていたスタックマーシャル。
DSL50+1960Aを購入し(DSL50はローン)
その後諸事情によりDSL50を売り払い1987Xに(借金で)チェンジ。
ストラト(タイプ)とプレキシ系Marshallのピュアな歪みサウンドを堪能する。

2010年6月に身の回りの諸々の事情により途中から趣味程度に抑えていた
ロックギターでの活動は全て休止。
Marshallなどをヴァイオリン・弓購入の借金返済に充てるため
ギターなどの竿物を残してドラム関連を含めて全て売却。
買取の鬼査定価格に泣く。

ヴァイオリンは二つのオールド系メイン楽器とサブ楽器のモダン楽器。
それと新作のCaoというラインナップを揃え、それぞれ思い思いに調整・改造を施す。

戸外のトンネル。地下街などで弾き始める。
残響のある場所での音のコントロールの大切さを実感・学ぶ。
また不特定多数の人の目に晒されて弾く時の舞台度胸的な鍛錬。
周囲の状況・動向に動じない演奏上の心構え的な鍛錬。
音程を自分でつくらなければならないヴァイオリン。
心の小さな動揺で微妙な演奏の乱れが出がちな(?)ヴァイオリン演奏での
それらの大切さも感じることとなる。

2010年の夏頃から、テクノロジー犯罪という犯罪に再び巻き込まれる。
実は2002年頃の転落事故もテクノロジー犯罪絡みの一件であった。
音声送信という加害行為を受け始め、これがヴァイオリンの演奏までに
介入されている、と気がついたのが、2010年の12月頃。
以後、このテクノロジー犯罪の日本に於ける法規制など撲滅への
戦いが始まる事になる。

2011年の1月頃に、このテクノロジー犯罪の自分への攻撃が酷くなり、
一時はちょっと危ない時期もあったが、以後何とか持ち直し、
しかし、身体的な遠隔攻撃も受けつつ、ヴァイオリンへの演奏介入の
妨害行為・嫌がらせ行為もそれなりにあり、ヴァイオリンの演奏介入に関して、
ある種の攻撃といっても差し支えない状態ではあるが、何とか弾き続ける。

2011年の11月頃、このテクノロジー犯罪の撲滅での街頭での呼びかけ(街頭演説・街宣)まで
始める事になり、ヴァイオリンの演奏と二足のワラジ状態。この犯罪を撲滅
させる事は自分のヴァイオリン演奏を取り戻す事でもある。

何人たるもの自分からヴァイオリンを奪う事は出来ない。



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